考える人のブログ

20代の一人間が色々な考え事を自由に書いています。

金メダルは目標ではなく結果

結果(目標)を求めて、計画を立て、行動し、一喜一憂する。長期のスパンなのか短期であるのか、多少の違いはあれ、これが、小さな頃から刷り込まれている物事の流れである。しかし、起きてもいない結果を求めると、起きた事との間に少なからずギャップが生じる。ならば、結果を求めず、生じた結果の中で生きていくのはどうだろう。より結果を受け止めやすく、心の安定は保たれやすくなるのではないか。今の世の中は複雑に見えて、やっている事は至極単純である。しかしながら如何にも色々な選択肢があるような気にさせる。多種多様なモデルが存在し常に情報を発信している。そのような情報(結果)に感化された人は、自分を同化させたい欲求が生じ、真似事が始まる。真似事は悪い事ではないが気を付けなければならないのは、真似事は自分で切り拓く人生を妨げる要因にもなるという事。起きた事を受け止め、自分は生きているんだと実感していく為には、この瞬間の自分の声(結果)を敏感に拾っていき、それに応えるカタチで行動していく事が必要ではないか。

惹かれる人間とは

ずばり、余裕を持った人間。心に余裕、時間に余裕、所作に余裕…。余計なもののないシンプルな姿となる。そうする事で、惑わされ心が乱れる事は少なくなる。人生を、余暇を、より、楽しめる事に繋がる。楽しむ事=笑顔になる事、ではない。心が安らぎ、本来の感覚がオープンになった状態で感じる瞬間の一つであると思う。そんな状態で余暇を楽しめる人は、魅力的だ。

家を出るとは

家族や親戚に腹を割って話が出来ないのは、まさに執着や思い込みが関係している。親しい間柄は特に像が確立しやすいのだろう。昔はこうだった、ああだったという記憶があるないは、お互いの関係性を固定化させていく。家族から離れる事は、自分を確立させる為には必須条件なのかもしれない。

お金を持つ事の意味

結局のところお金があるって、自分の思考の出来事と現実の出来事をタイムラグなく過ごしやすくなるって事だよね。情報が溢れきっているこの世界で生きるって、思考が現実の遥か先を行くから、現実の出来事が全然追いつかずに、物凄い窮屈に感じてしまう。その中で心地よく生きるのって、トンデモナイ金持ちになるか、情報が遮断されている環境に行くか、自分の思考を変えるかしかない。

生命力=助けを乞う力

赤ちゃんがイキイキしているのは、人間本来の生命力が最大限に発揮されているからだ。人間本来の生命力は、生き抜き、生き延びる力。人は元来より、協調、助け合い、生き延びてきた。現代においても同じく、衣食住、全てを一人で賄うのは困難である。そういった意味で生命力とは、他者に助けを乞う能力と言えよう。赤ちゃんはより高くより効率的にそれを発揮している。下手なプライドなく、純真でありのままの姿。生きる事に不必要な部分はより削ぎ落とされた姿。お腹が空いたら泣き、うんちが出たら泣く。満腹に見せる全てを忘れさせる笑顔、幸せを撒き散らすかのような寝顔。匂い、声、動き。生き抜く為に遺伝子に刷り込まれた、人を惹きつけ助けなければどうしようもなくなる魅力がある。その姿の裏には、気持ちが良いほどの素直さと、獣のような貪欲さがある。意識的な行動を取るようになるにつれ、そういった素直さや貪欲さは抑え込まれていく。それも成長につれ新しく身につけた生き抜く知恵である。しかしながら、赤ちゃんに学ぶべき事は多い。頭が固い、プライドが高い、教えを乞う事が出来ない、うまく自分を出せない…。赤ちゃんに学ぶべきである。素直さや貪欲さが足りないかもしれない。純粋な興味や欲求を素直にぶつけてみる事。素直な気持ちとは相手に向けるものではない。それは自分自身を信じる事に繋がる。全てを受け容れる事はない。嫌な事は嫌と言う、好きな事を好きと言う事が大切なのである。こうあるべき、こうした方が良いなど、実態のない理想やモデルがはびこっている世の中。自分自身を信じられれば、それは豊かで穏やかな心を保つ為に最も必要な事であると考える。

断食のすすめ

寝起きが良い。

頭がクリアな感じ。

腹がうずくが心地よい。

背筋が無意識に伸びる、というか

その方が気持ちが良い。

昔、味わった事があるような

懐かしく繊細で豊かな清々しい気分。

 

何も変わってなんかいない。

でも絶対変わった。

そんな感覚。

 

この感覚を皆が共有できるなら

なんて穏やかな世界になるだろうか。

 

 

 

飽きるという事

始めては飽き、飽きては始め、始めては飽きる。人生において、飽きは付き物だ。すぐ飽きてしまう性格、何をしても続かない…。飽きにはマイナスイメージがつきがちだが、そうでもない。飽きるとは、その対象の魅力に満足できなかったのではなく、その対象に十分満足できたという事。対象の魅力の差に大小は有るかもしれない。しかしそれは価値観であり、この世の万物に誰しもが抱く絶対的な魅力はない。誰しもが宇宙から地球を眺めた時と同じ感動を味わっているかもしれない。また、その対象にかけた時間の長さが必ずしも満足感に繋がるのではない、という事。一つの事を長くやった人と、短く沢山の事をやった人。両者は同量の満足感を味わえる可能性を秘めている。何もやらない、というのでも良い。絶えず体は動き生きている事、生命維持活動の神秘を味わう事ができる。生きる事を諦めたから、死ぬのではない。飽きたのだ。飽きるとはその人なりにそれを一生懸命頑張り、やり切り、満足した、という事だ。