考える人のブログ

20代の一人間が色々な考え事を自由に書いています。

信念を持つ事

自分は殻に閉じこもりがちだ。自分の世界の中では自分が主役で、自分の思うがままに空想出来て、他人を意のままに操る事が出来る。自分の解釈が絶対で否定される事もない。最高な世界である。世の中に不満がある人は、よく世の中を皮肉るけれど、それはただ鬱憤を晴らしている訳ではない。世の中を良くしたい、自分を大切にしたい、そういう気持ちが強い人だ。自分を大切にしなければ、自分を大切にしてくれる他人を大切には出来ない。大事な事は、不満を持ち続けられるかどうかだ。どんな分野においても、志を持ち続ける事は偉大である。信念は、人の正中に一本の柱を打ち込んでくれる。それは時に励まし、時に戒め、時に慰めてくれる。人はその柱を探し、また、その柱を大事に磨いていくのだ。

誇り高く生きる事

「あの星は今、この時間にはもうないかも知れないんだよ。

ずっと遠くにあるから。」

自分が小学校にあがる前、5つ上の兄さんがそう教えてくれた。

いつもの怖くて不安な夜も

兄さんと一緒の部屋で寝るとものすごく安心出来た。

曲がった事はしない、素直な兄さん。

テニスにスキーに運動神経抜群な兄さん。

寡黙で何事にも黙々と取り組む兄さん。

くだらない話も聞いてくれた兄さん。

女神の様に優しい兄さん。

そんな兄さんを本当に尊敬した。

 

誇り高く、最期まで弱音を吐かなかった兄さん。

自分の永遠の目標になってくれた。

本当にありがとう。

 

幸せな人の特徴

欲はどんどん先細っていく。決して渇く事のない欲望を満し続ける事は、困難である。結局のところ、欲望を満たす快感が幸せで、幸せな人生を歩みたいと願うのならば、それは困難であるという事になる。人生は不条理であると帰結してしまうのだ。現代、情報が溢れ情報に浸かりながら生きる人々にとっての人生とは、何なのか。今までオリジナルと信じられていたものがコピーであった、なんて事が日常茶飯事。オンリーワンは一部の人間だけであり、時代遅れになりつつある。オンリーワンを叶えたとしても、それは地球規模の話であり壮大さに欠ける。それだけ、人間の視野が広まったという事だが、あまりに不幸で不平等な現実に直面し、嫌になる事も多くあるだろう。物理的なもの、実体のあるものに対する快感の閾値は、相当高まっている。今までの常識を頑なに抱える事は、自ら孤独を背負う様なものだ。孤独は嫌がられる。恐ろしいからだ。不安だからだ。しかしそれも今のうちだけ。いずれ、孤独を良しとし孤独を受け入れていく時代が訪れる。大半の人間が孤独に生きていく世の中になったら、どうだろうか。思考は利己的、本能的な方向へ爆発する。突飛なアイデアや常識に囚われない柔軟な思考が増えていくだろう。しかし、それは恐ろしい事である。そんな人間を統率する事は非常に困難になる。やがて全てのものの境界があやふやとなり秩序が保たれなくなっていく。欲に正直に生き、孤独となり、思考を飛躍させた事で秩序が保たれなくなるのだ。欲を捨てる事は、生き物で無くなるという様な事。欲を捨てず適当に満たしながら、ある程度に理性を保ち、他者と協同しながら生きる。これが、人間の生存戦略なのだろう。良い加減で適当に物事を処理できる人はおそらく幸せだろう。

他人と知り合いと友達と恋仲と家族

知り合いとは、挨拶や会釈したり、顔は見た事あるけれど、話しはした事ない、なんていう関係か。友達とは、気が合いあちこち行ったり喋ったり怒ったり楽しんだり。恋仲は、一緒に居るだけで心も体も癒される、そんなイメージ。家族とは多くの時間を過ごす。その人の様々な基盤を作る共同創作者である。きっちり対応を選別する人も居れば、どんな人にでも同じ様に接する人も居る。近頃、人間関係はボーダーレス化しているが、ただ一つ言える事は、自分だけでは"関係"は成り立たない。相手と関わる必要がある。自分だけなら、自分勝手に好きにできる。自分の思い通りにいかなくても、責任は明確であり納得はしやすい。相手が居るとそう簡単にはいかない。双方の主張があり、折り合いはつきにくいだろう。関係が深まれば深まる程厄介である。だがしかし、忘れてはならないのは、いつでもどんな状況であっても、完全にきっかり100対0で自分には非がないんだとは思わない事である。常に冷静に自省、自重し、多角的に物事を考える心掛けが大切だ。そうすれば自然と、素直に相手を受け入れる事ができ、謙虚な姿勢で友好的な関係を築く事ができるはずである。関係が崩れる時、どちらかもしくは双方のそういった意識の欠如、欠落が起因している事は多分にある。

生きる意味なんてないって言う人

生きる意味を考える。

子供に将来の夢は、と尋ねる。

先行きの見えない不安を感じる。

やりたい事は見えていても、やる気が起きない…。

 

何事も全て結果を見通せなければ、やらない。合理的でなければ、行動しない。それは高度な思考回路だ。しかしながら、この世界が完全に合理的で論理的な世界になったとしたら、どうだろうか。人は考える事をやめ、生きる事をやめていくだろう。不安や矛盾を感じる心。それは人間が生きていく上で、重要な張り合いを生み出しているのではないか。

結果ばかり求めすぎるのは、粋がない。時には、意味もわからず無心で没頭する時間が必要に思えてくる。気の赴くままに…。生きる意味は生き抜いてみなければ、わからないはずであるから。

 

 

平和な世界を作るには

余裕が無くなる時、それは身の危険を感じ警戒しているとも言えようか。人間本来の姿がそこにはあって、利己的で私利私欲にはしり、挙句に周りに欲求不満を撒き散らす。元々、一人で生きていけるほど頑丈につくられていない人間。もっと協調し合い、謙虚に、素直に、生きていかなければならないのではないか。一人ひとりがそんな心持ちとなれば、世の中は平和へと変わっていくだろう。

正社員にならない人

正社員以外の形態で企業に雇用される事はほぼ浸透してきている。企業により、正社員とそれ以外の者とを、金銭面、仕事内容、労働時間等で差別化している事がほとんである。お金を稼ぐ、という事を念頭に置けば、パートでもある程度の収入はある。企業により正社員同様の福利厚生サービスの利用や、年金、保険面での心配もほぼ無い。処によっては住む場所、食事の心配も無い。一通りの生活と金、社会的な保証も正社員にならずとも、獲得できる世の中になっている。そんな中、正社員になる理由は何か。それは安定を獲得する事ではないか。様々な面での安定性を求め正社員になる。衣食住の安定、社会的な役割獲得や世間体の保持、生活パターンの安定、等々企業が大きければ大きいほど、また、社会的信頼がある職種や分野であるほど、安定性は高まる。確かに、不安や恐怖はできる限り排除していく方が生きやすい。安定性の重要性は社会に出れば痛いほどわかる。誰もが安定した生活を送る事が幸せだ、と心の何処かに(無意識的にかもしれないが)刷り込まれている気がするのは確かだ。大多数の影響力は甚大だ。その結果、周囲の影響により自分が操作されていく事に気付く機会を失う。実際にそういった状況に陥った人は多く見受けられる。そういった人達は、自分は大丈夫、という根拠のない自信を持っていたりする(思い込み)。安定は、こういった危機管理能力の低下を促し、判断力を欠落させてしまう危険がある。ありとあらゆる感覚が鈍麻していき、意欲や張り合いが失われ、思考すらも停止しかねない。全てにおいてヒトは順応し、効率化してしまうのだ。何かのきっかけで行き詰まると、何の為に働いているのか、何故この子といるのか、どうして生きているんだろう等と、悩まなくてはならない。単調な生活に飽き、刺激に飢えていくのだ。安定を求めた結果、不安定を求めてしまう(逆も然り)。さらに進行すると刺激すら求める事なく、悩む事もしない、できない人まで生まれてしまう。遅くとも、悩んでいる段階で打開策を見出す必要があるのだ。

もっと自分を正しく分析していく事が大切である気がする。自分を客観視して分析していき、己自身を知る努力をする。何をしたいかわからない、こんなはずではなかった、自分って何なのか、何をしても無感情になった、そう考えてしまう人に共通する点は、自分がどういう生き物かを知らな過ぎる、という事ではないだろうか。学校を卒業してすぐ就職する人の内、自分というものを完全に理解している人は恐らく数える程度である。何故なら、学校教育では自分とは何かではなく、多くの人はこうだ、という教えが多いからだ。自分以外の比較対象を提示し、その中で自分と思考が近い人を選べ、という流れである。それでは、自分以外の事についてはその本人よりも詳しくなる事もあるが、いざ自分は何なのか、という問いにはめっぽう弱い自分を作り上げてしまう。自分の人生を他人の尺度で生きる事に、何の疑問もなく何となく生きていく人(モラトリアム人間)を量産するのだ。

そんな世の中に疑問や違和感を持つ人が増え始めてきた。自分とは何なのかの発表場所として、SNSや動画配信が発達していった。好き勝手にああでもないこうでもない、私はこれが好き、嫌い、キモい、と、皆が皆言い出した。しかし、未だに自分を知り尽くした人は少ない様に思える。自分を知った上での結論ではなく、そうかもしれない、そうであろう、という推測や思い込みである事が多いからだ。気軽に自己顕示できる環境は良いが、それは新たな迷いを生み出す事にも繋がる。現代は情報に溢れ、ある程度の情報なら地球の裏側まで瞬時に手に入る。知らぬが仏が成立した昔とは違う。例え自分で選択したとしても他人の人生を歩いてしまっている事(真似事である)が即通知されるのだ。個別性を求める途方もない道のりに絶望し諦めてしまう人も増えただろう。しかしながら、いい影響も少なからずあると考える。若者は捻くれている様で素直であるという事。何でもかんでも自分の思いを発信していった事が、理不尽な慣習を良しとせずに、物事をより効率的に考えていく思考に繋がっていったのだと思える。思い込みや昨日までの常識が通用しない世の中が到来した。金を稼ぐだけなら、個々人でも可能だし、生活をするだけなら、税金で出来てしまう。より良い暮らしをしたいといっても、皆が皆国王の様な生活が出来たら国王は国王でなくなる。何でもかんでも予測できる世の中に面白みはあるのだろうか。アウトプットでの刺激に飽きると、さらなら刺激を求めていく。自分の頭の中だけで全てを創造し完結させる事が可能になっていくだろう。自分が好きな世の中を創り上げられ好きな様にカスタマイズできる。性別や寿命も選べる。自分の趣味嗜好がそのまま反映され自分の思い通りの人生を送る事が出来る。まさにリアル人生ゲーム。そういった時代を経れば無欲無感情の時代が到来する(人類の最高到達点)だろう。考え過ぎて考える事を辞めていく。かつての人間の要素はほぼ無く、大きな脳みそだけになっているかもしれない。

正社員になるのは悪くはない。しかし、自分を自分でコントロールできる力量のない人が多すぎるから、純粋な人は必ず病む構図が出来上がっている。如何に、自分を知る事が出来るか。自分を知れば、気持ちよく過ごせる事が多くなるし、自分に自信も持てる。さらに自分自身に納得しながら生きていく事ができるのだ。これこそが、この不条理で不平等な世の中におけるでの人生における、快活な生き方では無かろうか。