いい加減認めてあげようよ。
プライドを捨てるのが一番手っ取り早い。全ての重荷が重荷じゃなくなり、全てがどうでも良くなる。シンプルに生きられる気がする。今の自分がいいと言ってくれた。嬉しかった。安心できた。安心感ってものすごくありがたいんだ。自分を見過ぎている。だめだ、周りをみて。そう、素敵な人に物に囲まれた、幸せな人生だ。
自問自答
承認欲求強い勝ち気な人って、デリカシーなく距離感のつめ方がわからない人が多い気がするけど、それが好きな人だったらどうしよう。自分にないところだ、と惹かれてしまったらどうだろうか。その相手が問題ではなく、自分のモラルの問題。食わず嫌いは嫌だから参加はする。ただそういう友達が多いということは、少なからず彼女にもそういう面があり、心地よいんだろう。距離感をミスる人は物理的距離もミスる。そして、思わせぶりとも取られる態度も多い。一番問題なのは、その事実に当人が全く気づいてないことなんだよ。あー、どうしよう、どんどん萎えてくる。
受容れる準備
31年の自分の感覚と今とのギャップが大きすぎて全く別に感じてしまうのに、それを前の型にはめようとするからおかしくなるんだ。今を受け止めなければ、ずっと悩むし、取引や抑うつから抜け出せない。みんなと同じにしようとするから苦しむ。このままで良いんだ。体調が悪くても、悪いなりにすれば良いよ。上向いたら、それもまた楽しめば良い。何かに合わせる必要はない。自分の感覚を大事に。そして、その選択がいつも最善なんだって思う。
無限ループ
我慢する、というか言葉が出ない感じ。頭が回転せず、自分だけが強張って何もできず、呆然としていた気がした。あの時どんなことをすれば良かったんだろうか。何か、本当に体が言うことを聞かず、何も浮かばないし、なんか自分という存在がよくわからない。何を話したか、相手がどんな意図を持って発したサインなのかが、よくわからなくなってきた。点と点がつながらない感覚。余裕がないんだろうし、知識がないんだろうし、経験がないからだろうけど、人と会って、話を合わせて、なだめて、諭して、感情を押し殺す作業に疲弊を隠せない。昔と比べてしまうから辛いのはわかってる。目の前の悩みが解決したら、また違うところから悩みを見つけ出し引っ張り出してしまう。そして、もう手に入らないものに執着してしまう。時に少し高尚な自分になった気がして、相手を自分の所有物のように扱い、支配しようとする。意にそぐわなければ、拒絶される前に拒絶してしまう。そうやって、小さくか弱い自分を大きく見せようと必死に生きているのが、今の自分。汗を止めても、根は変わってない。根性や相手への思いやりや情が薄れてきた。今までは可哀想な悲劇のヒーローを糧に、皆んなに好かれたくて、認められたくて頑張れた気がする。そして、そんな自分を自分自身なんやかんや気に入っていたのだ。それが今となっては、好かれようとも思わないし、まあ良いや、が口癖になってきた。こうしなければ、きちんとしなければ、というこだわりが消えていく感じ。生きやすくはなったかもしれないが、逆に反骨心や向上心が生まれにくくなった。動物としての本能や喜怒哀楽が遠くに行ってしまったような。意欲関心の減退、集中力、思考力、記憶力の低下を著しく感じる。悔しい。こんなはずじゃないのに、が、頭から離れない。
偽善の愛
相手をコントロールはできない。思い通りに動いてはくれない。当たり前を目の当たりにする日々。今まで相手を束縛することでコントロールできていると思い込んでいた。そうやって、自分の価値観からはみ出たものを遠ざけて、自分のテリトリーの中だけで完結させようとしていた。そうやってでしか生きられなかったのだ。自分の気質を理解しているつもりでいたけど、冷静で無感情なんて嘘だ。ちゃんとイライラするし、ムカつくこともたくさんある。無意識にそれらを抑圧することが、ひいては自分を守る術になっていたんだ。自分が相手に認められないのではないか、そもそも相手に認められる必要もないのに、ただ何かに怯え、へつらい穏便にことをおさめてきた。それが今までの自分。やりたいことがないわけでも、寂しいわけでもないのに、空虚で、常に意味を求めて彷徨って、何かに縋り付いて。そうやってきた32年間。そうだったんだ。今そうやって素直に思えた。もっと自分を見て。自分が一番でもたまにはいいんじゃない。今までの偽善の愛から卒業しよう。
ドライアイ、ぼーっと感、無気力
ずっと寝ていたい。疲れたというか、無気力で取り組みたいのに、続かない。起きているのがしんどい。こまった。ないものねだり。汗をかきたい。潤いが欲しい。感情が動かないから生きてる実感も楽しさもないんだろうか。