30歳の苦悩と微かな光

頭の中を整理する為のブログ

優しくなろう

今を生きるって難しい。

大体人は、先か後ろを見てる。

走っていたら前を見なきゃいけないし

布団に入れば今日の出来事を振り返る。

今にフォーカスできると、集中力が高まって

なんでも出来る勇気が湧いてくる。

過去や未来に囚われると

上手くいかなかったことを悔やんだり

起こってもないことに怯えてしまう。

そんな日々はもうやめよう。

憶測や過去の経験なんてどうでもいい。

ただ今の生き生きとした感覚を、大切に。

そして、この時間と空間を生きた自分を

認めてあげられたら、ほんの少し

優しい気持ちになれると思うんだ。

今日もいい日だって胸を張って言える

1人で居ても、誰かと居ても、そこに居るのは自分。今日も頑張ったね。ありがとう。

いつも気を張って疲れるよね、良く耐えてるよ。気分を害さないように、配慮して、本当にすごい。いつもありがとう。

人がどう思うかって無意識に考えて、頭悩ませて、尽くして、縁の下の力持ちになろうと、必死に身を削って努力しているのを、いつも見てます。そんなあなたに言いたい、ありがとう。

人ってなんだかなぁ。

感謝してとは言わないが、人に対する思いやりとか敬う心はいつになっても忘れちゃいけない。それが人との関わりの基盤になるから。それを見失うことは、人を孤立させ虚無感に苛まれることを意味するんだよ。いつになっても満たされないし、どこか心が離れていく。ほんの少しでいいから、愛情や人間らしさを持って生きていきたい。そう願うのが、人であると思うんだ。肯定しなくていいから、少なくとも否定する人間にはならずに、歩いていこう。皆んながそうできればいいけれど、自分だけでもそう信じて明日も生きたい。

生きる 生きたい 死ぬ 死にたい

生きる 死ぬ

生きたい 死にたい

って同じ意味じゃない。

客観的な視点と主観的な視点

だから、体は生きてるだけど

死にたいと感じることが成り立ってしまう。

そのちぐはぐが幻覚になって

その人を苦しめる。

生きたいとインプットされてるとは

分かっていながらも、恐怖にかられ

生きていること自体、恐ろしいことだと

実感するんだ。

死にたい、じゃなくて

生きてることが怖いんだ。

なぜ死にたいと思えるようになったんだろう。

どうして生をやめる選択ができるんだろう。

生きなければならないって

誰がそういいはじめたんだろう。

考えることなく始まった生きるを

考えれば考えるほど、辛いことの多い現実を

どうやって受け止められるんだろう。

感情が無くなれば、生きている実感も無くなるだろう。

そうやって生きていることを一旦休めば、

とりあえず死を考えることを置いておける。

苦しさから逃れられるんだ。

それでもまだ生きている。

生きながらえている、生かされている。

 

 

だから、退屈なんだよな

退屈な時間を退屈と感じるのって、退屈な記憶のせいで、退屈な記憶は以前にその経験をした回数が多くて、ストレスを感じさせて、闘うか逃げるかを自分に課してて。そもそも退屈に感じることって、案外悪いことばかりでなくて、体力があればストレスを与えた分だけの跳ね返す糧になったりする。ただ、退屈な場面で自分を出せる人って、そこまで持ってくまでたくさん挫折を経験して、それを回避してるにすぎなくて。だから、人を惹きつけるんだろうな、そうなりたいって。自分を出さないようにしてる人、気を使う人も、実はそれもある意味闘っていて自分を出すストレスと我慢するストレスとを天秤にかけた結果なんだろうな。そう考えるとどうしたら正解かってほんとになくて、選んだ道が、見方によって全部正解で全部不正解になる。

辛い時、どうされたらいいのか。考えれば考えるほど、どうしたら嬉しいか、楽になるか、忘れられるかわからなくなる。多分、そんな想像も働かなくて、いい未来が見えなくて、考えたくもなくて、逃げたい、無くなりたいって、そうやって楽になりたい、少しでも。それだけ心も体も疲れてる。人と会うのも、ご飯を食べるのも辛いし無意味なんだよ。自分の世界に籠るしか自分を守る術を持てなくなって、そんな自分も世界も全部が嫌い。自分を思ってくれる人が、本当に考えてくれる人がいても、受け止めるだけの余りが無いんだよ。死にたい、消えたい、楽になりたい。そう考えることもできなくなって、何もかもどうでも良くなる。みんなみんな嫌になって、無限になって、でもまだ生きていたくて。生きることをやめさせてくれない世の中に、ただただ打ちひしがれて。ああ、今日も生きてしまった。そしてまた多分明日も。そうやって何にも無い日々を過ごす。良い時も悪い時も本当はなくて、ただ生きていくだけ。僕たちは、それでも、笑ってなくちゃいけないの。苦しすぎて泣きながら死んでも、死に顔はきっとそこまで崩れてないんだろうな。なんか笑えてくるな。腹抱えて笑って死んでも、どことなく寂しい顔してるのかな。感謝なんて、誰かが勝手に作った幻想で、そうやってただ、意味をつけて安心したいんだろ。もう、うんざりよね。そうそう。ああ、眠たい。