情報に埋もれる世界で、隣の芝は青く見えるし、自惚れたり、慕われたり、信じたり、裏切ったり、知らぬが仏だったり。本能的な生き物から、理性的な人間になることで、責任とか調和みたいな大きな荷物を背負わされて、自由になりたいと思って新しい事やまだ誰もやってない事を成し遂げようとするけど、やっぱり自分は人間なんだ、箱の中で飼われてる動物なんだって思い知る。一人一人の個性を、人権は守られるべき、プライバシーは大事、自分自身って特別な存在、夢や目標、好きな事をやって良いんだ、嫌な事は嫌だと言おう、そんな人間同士の馴れ合いは所詮、人間界でしか通用しない。どんな肉体を持とうが、人間はゴリラには敵わない。そんな中で自分は何だとか、生きる意味とか、結婚して子孫をとか、何かにつけて生きる事を複雑にし、生きる事に何かしらの意味を持たせようとしてしまう人間の弱さ、脆さ、不安定さ、曖昧さがある。日々何を考え、何をして、何を生み出すか。同じ日々のような退屈さ、新しいものを見た時の感動、あれをしたいこれを食べたいという欲求、動物的で理性的な相反する特性を持つ人間らしい、小賢しく疎ましい光景だ。