自分の毎日が忙殺されている?このフラストレーションは思い通りに行動できていない葛藤なのか、外部との摩擦なのか、余裕の無さへの蟠りなのか、昇華できない何かが肩を重たくする。いつからかぼーっと人を眺め、過去の人と重ねて見下して、自分は正気だと安心させる思考回路に陥ったのだろう。自分は欠乏していないと思い込んで、余裕のある人を演じて、自分の味方ばかりを周りに従えて。そんな格好悪い、見窄らしい、低俗で貧相な発想は手放してしまおう。苦しんで負けて日々すり減らしてでもそんな可哀想な自分が愛おしいと感じてしまう、馬鹿馬鹿しい毎日を繰り返すのは何故だろう。どうして希望を持てるのだろう、どうして今日も走ったのだろう、明日が来ると自然に思えるのは何故だろう、まだ生を全うしたと自負できないことを悟っているのか。悩みは尽きることなく、それに振り回される心と体。この悩みも明日には別の姿に変わって、巡り巡る。そうやって人は騙しだまし生きていくのだろうか。