30歳の苦悩と微かな光

頭の中を整理する為のブログ

将来を考えるとき

ずっと将来を考えたくなかった。将来を考えることを避けていた。将来を考えるのは明日に希望を持てる人達だけだ。取り残されたような自分には、将来を考える余裕も権利もないように思えてならなかった。

いよいよ将来を考えようとすると、もう遅いと気付く。多分、これの繰り返し。そこで挫折して自暴自棄になって、いつまでも腹をくくれず周りのせいにして鬱憤を爆発させる。全部自分の行いの結果であるのに、あたかも指示されたかのように思えるのは何故だろうか。目の前の楽しみばかりで本当に良いのか。将来を考えることも必要じゃないかと思うが、考えるほどに良い想像ができなくて困る。目の前の楽しみばかりの行き当たりばったりの人生と明るい将来を見据えた計画的な人生。この相反するような事象を兼ね備えた人生を歩めたら楽しい気がする。

みんな不安なんだろうか。なぜみんな不安だとわかると安心できるのだろうか。不安が安心で、安心が不安。人間は都合よく、自分にリスクの無いよう生きる小賢しい生き物なんだ。それが悲しい。その瞬間を楽しめて、それがその後につながっていくと確信しながら生きていければ。先が見えないのも怖いが先が見えすぎる人生も怖い。ただ言えることは、物事を多角的に見ること、健康でいること、は大事だ。多角的な視点を持てば、新しい発見や違った発想ができる。健康であれば、それを行動に移せる。金はなんとかなるし、与えられた範囲でやればいい。そうすれば徐々に、心にアドバンテージが生まれ、それが余裕へと繋がる。余裕があれば、感情豊かに楽しむことができる。喜怒哀楽を持って、人の間でよく生きることこそ、人間臭い生き方だと思う。