30歳の苦悩と微かな光

頭の中を整理する為のブログ

土浦遠征

仕事とプライベートを分ける、ワークライフバランスサービス残業…。仕事をしている時間を明確に、そしてそれはできる限り短く。日本人は可能なら仕事をしていたくないと考えている。仕事以外に何かしたいことがある、単純に仕事が嫌い、職場の人間関係が壊滅的、ぼーっとしていたい、など理由はさまざまあるだろうが。

昔から日本人は誰かのために尽くす、自己犠牲とか、自分を殺して相手を立てるというような慣習を重んじてきた。年功序列、敬語、礼儀マナー、そういったものが生まれたのもそうであろう。しかしそれは逆説的に自分の価値、自分の存在を否定的に捉える思考を生み出してしまったのかもしれない。

単に意味も理由も考えることなく他者を敬う心は、アイデンティティの確立に大きく影響される。自分より他者を第一に考えるバイアスがかかるために、他者の中で自分を見つけるというと、自己の評価はどうしても安定しない。自分が自分であることに対する肯定的な思考の減少、自己の不確実性が高まっていく。自己肯定感の低さが無為自閉的な思考行動を生む。反対に自分を押し上げすぎ、自分以外のものを過小評価してしまう方向へいく場合もある。

日本人の、老若男女が手を取り合い、労わり助け合う文化は確かに美しい。しかしかつてそこには本当の意味での奉仕、というものがあったはずである。

今日の情報社会では、今まで知らなくてよかったことや知りたくなかったことまで、簡単にタイムリーに知ることができてしまう。地球の反対側や宇宙のことまで、指一本で瞬時に。便利になったおかげで研究は進み、人間の知恵は顕著に進んだ。おかげで寿命も延びたが、思考はどんどん効率化され、人間的な?思考の?老いは早まった様な…。現代の叡智をもってして足掻いても、未だ人間は死に抗うことはできない。テクノロジーにより、簡単にタイムリーに思い知らされる現実。これで絶望しない人なんてどこにいるだろうか。

精神発達成熟度の低年齢化は、幸福度と反比例する。人間は幸福になりたいと願うが、幸福は一種の錯乱物質だ。死をほんの少し遠ざける手助けをしてくれるにすぎない。

何を言いたいかよくわからなくなってきた。簡単に言うと、これからセックスするってこと。絶望しなきゃ、今を楽しむなんて思考は生まれない。

最近の悩み

相手の働きやすいように、自分の身の振り方を考えていく生き方は、本当に疲れる。相手のために尽くす気持ちで、自分の思い通りにならないことを抑圧してるって、何のために自分を殺して生きているのかわからなくなって、嫌になる。本当は、言いたいことを言いあえてお互いを高め合えればいいが、本心では、相手より自分が上だって、たかを括っているんだ。本当はそんなちっぽけな自分じゃないって思う気持ちが強いほど、逆に自分ってなんて卑劣で脆弱なんだって、自己嫌悪する。その繰り返しで、思考が固まってどんどん新しい考えが制限されていく。人の汚点ばかりが目につき、自分だけが我慢して苦労しているという考えがエスカレートしていく。この負のスパイラルを断ち切らねばいけない。相手を尊敬できれば、少しでも人間として好めば、ふっと気持ちが軽くなっていくんだろうが、そう思えない場合、このやるせない気持ちをどう消化すればいいだろう。まあいいかと、一旦置いておくことは実践できているようで、それってやはり根本解決には至らない。自分の思考を立て直すしかないだろうが、どう頑張っても嫌悪感を拭えない。距離をおくことも、本音を言い合うこともできない。話が通じる相手でないとわかっているから。これも思い込みだと言われればそう。どうしたもんか。

仕事の飲み会

自分の感覚と相手の感じ取る感覚はやっぱり確かに違うんだけれど、どうにも腑に落ちない時ってある。自分の考えを中心に考えるしかなくて、相手との考えに齟齬が生まれることはわかっている。にしても受け入れられないことがある。ビジネス間のコミュニケーションであるが、それをどうもまだ消化しきれていないようだ。どうしてもその裏の人間性の部分に目がいってやるせない気持ちになってしまう。なんか疲れる時間だけの印象が残るだけってもったいないなあ。

本音と建前と諦めと受容

ここのところ経営者と出会う機会が多いが、人それぞれ土台は違えど似たような考えを持っていくものなのか。

互いに教え合いながらも、時折、一線を画すように足を踏み入れない瞬間がある。

みんな探り合って、信じられなくなったり、付き合い方をシフトしていったり。本音と建前で、情報の出し入れという面はとてもシビアだ。

金持ちになりたい、有名になりたい、自分の思いを叶えたい、そんな人の中で自分って何なんだろうとふと考えると、とことんこの世に未練や執着がないなと感じる。

そういう人は多分、相手に合わせたり、相手が望むような人を演じることで、その場を波風立たせず過ごすことを好むだろう。

自分の評価を気にしている裏側には、ある程度楽をして生活するにはどうすれば良いかを、自分の負担にならない程度に考えているんだと思う。

いうなれば怠け者でめんどくさがり。できることなら自分の思い通りにことが運べば良いが、そうならないし、そうさせるための地盤作りや環境を生み出すまでの能力もなければ、それに費やす体力もできるだけ使いたくない。

失望した、まではいかないかもしれないがそれに近い状態であると思われる。これまで、自分の思いとは裏腹に目の前の事象は動いていき、自分の意思ではどうにもならないことに直面し続けたことで、諦めという名の受容をしていかざるを得なかった。そうしなければ、生きていくことができなかったのかもしれない。

そう考えると、日々生きていること自体が辛く、また日々新たな諦めを積み重ねているのかもしれない。

きっと誰もがそうやって日々を過ごし、諦めながらでもその中で自分ができることは何か探して、頑張っているのだろう。

頑張ろうと思うけどできない、頑張ろうとも思わない、頑張ろうと思っていないけどある程度こなせてしまう、など、程度の差はあれ、生きていくことは日々時間を重ねていくことだ。昨日より今日、今日より明日、と時間は過ぎ終わりに近づいている。

少しでも良い思いをしたい、少しでも役に立ちたい、そうしたい人はすれば良い。

自分は何を思うだろう。

 

飲み会の後

プライドを持ってる人と接していると、自分の何もなさを感じる。それが良い悪いとかではないだろうけど、虚無感を覚えるのはなんか勿体無い気がする。どんな考えを持とうが、持たまいが、モチベーションの高さや夢やプライドの有無をとやかく言うんじゃなくて、全部を受け止めるとか肯定するでもなく、ただありのままの存在を認められるような存在でありたい。

葛藤

人って不安や恐怖にとっても弱くて、それが何かを模索して、それっぽい答えに縋り付いて、束の間の安心を手に入れたがる。

不安や恐怖って生命を脅かすストレスだから、遠ざけようと必死に抗って、なんとか回避や逃避をしながら生きている。

疲れてしまうと抗うことが出来ず、不安や恐怖に支配されてしまい、体調にも異変をきたす。

それがちっぽけでも、人からしたらたいしたことのない不安や恐怖でも、その人にとっては生命の存続を脅かすものである。

不安や恐怖に敏感、鈍感、無関心、色々な人がいるけど、みんな必死に生を全うしようとする根っこを持っているんだと思う。

 

自分は今、葛藤している。

自分はどこか他人とは違っていて、斜め上の考えを持っていることに優越感を得て、社会の不平等さや貧富の差に蔑んだ視線を飛ばすことに、特別感や唯一無二の自分の存在価値を感じている。人とすれ違って視線が合えば、自分のことを好いているのではとテンションが上がる、かなり痛めの七夕野郎。痛いエピソードを痛いと感じることですら、自分の存在価値の高さを改めて認識する材料にしている。

自分のそんな価値観はどうやって出来たのか。非凡な人間への羨望と憎悪により、平凡な自分を脚色してしまう卑怯な性根からだろう。

そもそも存在価値を高めたいと思わせるのは何なんだろう。弱肉強食の世界、食物連鎖のより頂点に上り詰めたい、という野心と虚栄心のせいなのか。そもそも1人の人間の存在による変化の小ささがもたらした、壮大な勘違いなのかも知れない。そうやって、退屈でちっぽけな人生をあたかも意味のあるものに、唯一無二のものにするため、自分で自分自身を騙す手法として生まれたんだろうか。

そうやって人間はこの不条理な世界を、疑問はありつつ全否定することなく、ただなんとなくでなく使命や意義をみつけ生きることで、生命力を高め、生存競争に打ち勝ってきたんだろうか。だとすれば、世界に抗うことなくただなんとなく何の使命も意義も持たずに生きている奴は、淘汰される存在ということなのか。

 

このままなんとなく生きていくべきか、無理矢理にでも見つけるべきか、そもそも自分がそういう存在なのか、葛藤している。

初めての人とのコミュニケーション

自分のことを話してみる

無理して笑わない

優劣をつけない

楽しいことに集中する

相手がどう思うかよりも

ひとまず行動してみる

 

相手からどう思われてるか、

印象よく、心に残る人なりたい、

よくそんな思いにかられるけれど

 

まず、自分の気持ちに正直でいたい

 

つまらない時、どうしたら

つまる展開へ持っていけるか

考え、持っていけるとコミュ力高い

 

相手に興味ないのに

興味あるように見せると

あとから本当になるのか

頭で考えてるのかどうか

わからない

まあ考えてないだろう

うまく話せる人は

 

羨ましい…

そんな人になりたい

慕われたいというか

どんなカオスな会も

雰囲気を良くできるかっていう

ゲームをクリアしていく感じ