31歳、苦悩と微かな光

頭の中を整理する為のブログ

正社員にならない人

正社員以外の形態で企業に雇用される事はほぼ浸透してきている。企業により、正社員とそれ以外の者とを、金銭面、仕事内容、労働時間等で差別化している事がほとんである。お金を稼ぐ、という事を念頭に置けば、パートでもある程度の収入はある。企業により正社員同様の福利厚生サービスの利用や、年金、保険面での心配もほぼ無い。処によっては住む場所、食事の心配も無い。一通りの生活と金、社会的な保証も正社員にならずとも、獲得できる世の中になっている。そんな中、正社員になる理由は何か。それは安定を獲得する事ではないか。様々な面での安定性を求め正社員になる。衣食住の安定、社会的な役割獲得や世間体の保持、生活パターンの安定、等々企業が大きければ大きいほど、また、社会的信頼がある職種や分野であるほど、安定性は高まる。確かに、不安や恐怖はできる限り排除していく方が生きやすい。安定性の重要性は社会に出れば痛いほどわかる。誰もが安定した生活を送る事が幸せだ、と心の何処かに(無意識的にかもしれないが)刷り込まれている気がするのは確かだ。大多数の影響力は甚大だ。その結果、周囲の影響により自分が操作されていく事に気付く機会を失う。実際にそういった状況に陥った人は多く見受けられる。そういった人達は、自分は大丈夫、という根拠のない自信を持っていたりする(思い込み)。安定は、こういった危機管理能力の低下を促し、判断力を欠落させてしまう危険がある。ありとあらゆる感覚が鈍麻していき、意欲や張り合いが失われ、思考すらも停止しかねない。全てにおいてヒトは順応し、効率化してしまうのだ。何かのきっかけで行き詰まると、何の為に働いているのか、何故この子といるのか、どうして生きているんだろう等と、悩まなくてはならない。単調な生活に飽き、刺激に飢えていくのだ。安定を求めた結果、不安定を求めてしまう(逆も然り)。さらに進行すると刺激すら求める事なく、悩む事もしない、できない人まで生まれてしまう。遅くとも、悩んでいる段階で打開策を見出す必要があるのだ。

もっと自分を正しく分析していく事が大切である気がする。自分を客観視して分析していき、己自身を知る努力をする。何をしたいかわからない、こんなはずではなかった、自分って何なのか、何をしても無感情になった、そう考えてしまう人に共通する点は、自分がどういう生き物かを知らな過ぎる、という事ではないだろうか。学校を卒業してすぐ就職する人の内、自分というものを完全に理解している人は恐らく数える程度である。何故なら、学校教育では自分とは何かではなく、多くの人はこうだ、という教えが多いからだ。自分以外の比較対象を提示し、その中で自分と思考が近い人を選べ、という流れである。それでは、自分以外の事についてはその本人よりも詳しくなる事もあるが、いざ自分は何なのか、という問いにはめっぽう弱い自分を作り上げてしまう。自分の人生を他人の尺度で生きる事に、何の疑問もなく何となく生きていく人(モラトリアム人間)を量産するのだ。

そんな世の中に疑問や違和感を持つ人が増え始めてきた。自分とは何なのかの発表場所として、SNSや動画配信が発達していった。好き勝手にああでもないこうでもない、私はこれが好き、嫌い、キモい、と、皆が皆言い出した。しかし、未だに自分を知り尽くした人は少ない様に思える。自分を知った上での結論ではなく、そうかもしれない、そうであろう、という推測や思い込みである事が多いからだ。気軽に自己顕示できる環境は良いが、それは新たな迷いを生み出す事にも繋がる。現代は情報に溢れ、ある程度の情報なら地球の裏側まで瞬時に手に入る。知らぬが仏が成立した昔とは違う。例え自分で選択したとしても他人の人生を歩いてしまっている事(真似事である)が即通知されるのだ。個別性を求める途方もない道のりに絶望し諦めてしまう人も増えただろう。しかしながら、いい影響も少なからずあると考える。若者は捻くれている様で素直であるという事。何でもかんでも自分の思いを発信していった事が、理不尽な慣習を良しとせずに、物事をより効率的に考えていく思考に繋がっていったのだと思える。思い込みや昨日までの常識が通用しない世の中が到来した。金を稼ぐだけなら、個々人でも可能だし、生活をするだけなら、税金で出来てしまう。より良い暮らしをしたいといっても、皆が皆国王の様な生活が出来たら国王は国王でなくなる。何でもかんでも予測できる世の中に面白みはあるのだろうか。アウトプットでの刺激に飽きると、さらなら刺激を求めていく。自分の頭の中だけで全てを創造し完結させる事が可能になっていくだろう。自分が好きな世の中を創り上げられ好きな様にカスタマイズできる。性別や寿命も選べる。自分の趣味嗜好がそのまま反映され自分の思い通りの人生を送る事が出来る。まさにリアル人生ゲーム。そういった時代を経れば無欲無感情の時代が到来する(人類の最高到達点)だろう。考え過ぎて考える事を辞めていく。かつての人間の要素はほぼ無く、大きな脳みそだけになっているかもしれない。

正社員になるのは悪くはない。しかし、自分を自分でコントロールできる力量のない人が多すぎるから、純粋な人は必ず病む構図が出来上がっている。如何に、自分を知る事が出来るか。自分を知れば、気持ちよく過ごせる事が多くなるし、自分に自信も持てる。さらに自分自身に納得しながら生きていく事ができるのだ。これこそが、この不条理で不平等な世の中におけるでの人生における、快活な生き方では無かろうか。