30歳の苦悩と微かな光

頭の中を整理する為のブログ

自分の価値って幻想だよね

自分の価値を考える時、自分が誰かに必要とされているかという尺度が使われがちだけれど、それで安心する、心が楽になるのはアルコールで酔っ払ったのと同じだ。根本的な自分の価値とは何か、という問いの答えではない。自分の能力を表す尺度はさまざまある。経済力、影響力、独創性、創造性、頭脳、他の人にはないオリジナリティ…。しかしながら、それらをそのままその人の価値、と言い表していいものか。そもそも価値とは、人が人や物などの対象物を評価した際の結果であって、その人の存在や意味を絶対的に表したものではないように思える。人が下した評価が、そのまま自分の生きる意味や、自分自身の存在価値として受け止めてしまい、未来に絶望を感じてしまうことも多い。そこまで自分の価値を重んじる必要があるのか。その人にしかできない仕事があっても、人類や宇宙にものすごい貢献をしたとしても、それはその人がたまたまその役割を仰せつかったのでは、と考えてみる。そもそも、宇宙がどのように生まれ、人がどう生まれ、どのように暮らしていって、なぜ地球を選んで、そして今、自分がどうやって生きているのか、なぜ生きているのか…。そんな大それた事を、人が答えを出そうとして、簡単に出せるものではないのは想像がつく。人の価値は何か、という疑問を持つこと自体、宇宙の原理を説明する事と同様に、無意味で空虚なことであると気付かなければならない。遠い未来に現状の人智を超えたところへ到達するならば、宇宙の真理に答えを出せるかもしれないが⋯。今、それらしい答えを出すならば、自分の価値は自分自身で決めていくことだ。人が人として生まれた以上、誰かと助け合い、日々何かを傷つけ、犠牲の上に自分が成り立っている事を、忘れてはいけない。自分の価値を考えたり、どうにもならない現状に嘆くよりもまず、自分ができる事をやり、日々生き、時たま生きている事、自分を支えてくれる人に感謝できるように、生きる努力をするのだ。快活に生きる事は、誰かを元気にさせる。