30歳の苦悩と微かな光

頭の中を整理する為のブログ

鬱状態だった。2ヶ月くらいは何にでも自信過剰でうまくいくことしかイメージできなくて、そのまんま自分の思惑通り、ことは進んでいった。鬱に入り込んだきっかけは、単純明快。ことが思い通りにいかなくなったからだ。それ以上でもそれ以下でもない。これが諸悪の根源。思い通りにいかない原因は、自分の思い込み、勘違い、刷り込み、執着などから始まる。要は妄想だ。子供がおもちゃを買ってもらえず癇癪を起こすのと仕組みは同じ。ただ、わずかな経験年数の違いがこの違いとなる。私たちは勘違いの中を生きている。誰が決めたでもない、架空の共通認識らしいものや、確からしい概念にすがりつき、それを信じきって生きている。疑問を押し殺し、惰性で回る。大多数がそうだからと、恐怖を忘れ楽観的に生きる。人の数だけ、人生はある、なんて綺麗事が始まり、金に苦しむ人がいれば、どこかの大富豪が心の飢えに苦しむ。どうして心はいつも安定しないのか。それは恐怖を遠ざけて生きているから。見るべきものを見つめようとしないから。ただ、恐怖を見始まると俗に言う、普通の生活が成り立たなくなる。まず、日々自分が行なっている全てが意味を成さないことだと気付かされるから。全ての帰結は気分的な問題で、ただ誰かが納得いく形になったか、だけなのだ。環境問題も宇宙開発も戦争も、人が産み出したものは全部そう。人の頭で考えられるものという時点で、決まっている。全部が正解で全部が不正解。だから、妥協しない人は悲嘆の中を彷徨い続けるだろう。楽しく微笑んでいるのは、鈍感であきらめの良い人間だけだ。人はこれ以上、子孫を遺していく必要があるのか。自分の存在意義を見出す為に子孫を遺すということが、愛し合った結果などと美化されただけではないのか。自分の常識の中でしか生きることができないことが人間の弱点だ。その常識は周囲環境で構築される。遺伝も広義では周囲環境だ。人間の根源を知ることが謎の証明になるかもしれないが、それを確かめることはできない。とりあえず言えることは、これほどまでの思考力を持ってしまった為に人間は苦しむことになるだろう、ということ。