30歳の苦悩と微かな光

頭の中を整理する為のブログ

自分というなぞ

みんな、自分のことでいっぱいいっぱいだ。

自分がせかいのちゅうしんで、みんなのことはにのつぎで。そりゃそうだ、自分のせかいだから。自分がとくをして、自分だけがらくできる、そんな自分にとってつごうのいいせかい。そんなせかいが、みんなのかずだけあって、そのせかいがすこしずつかさなってできたのが、みんながきょうゆうしているせかい。いわば、そとのせかい。そとのせかいは、めんどうなことやつらいこと、つかれることのおんぱれーど。そりゃそうだ、自分だけがいるのではないから。自分のせかいは自分がいちばん。そとのせかいでは、そのじゅんばんもかわってしまう。ふあんていで、おもしろみもなくて、よっきゅうふまんなせかい。だって、けっきょくは自分は自分がだいすきで、自分がなによりもたいせつにされないときがすまないから。あるいっていまでつかれがたまると、自分のせかいとそとのせかいのきょうかいがあいまいになり、自分がわからなくなる。そうやって自分のせかいにひきこもる、自分だけがいるせかいに。そうして自分のそんざいをたしかめて、自分で自分をなぐさめる。それだけ自分というものはもろくてかすかなそんざいなのだ。