30歳の苦悩と微かな光

頭の中を整理する為のブログ

生きる 生きたい 死ぬ 死にたい

生きる 死ぬ

生きたい 死にたい

って同じ意味じゃない。

客観的な視点と主観的な視点

だから、体は生きてるだけど

死にたいと感じることが成り立ってしまう。

そのちぐはぐが幻覚になって

その人を苦しめる。

生きたいとインプットされてるとは

分かっていながらも、恐怖にかられ

生きていること自体、恐ろしいことだと

実感するんだ。

死にたい、じゃなくて

生きてることが怖いんだ。

なぜ死にたいと思えるようになったんだろう。

どうして生をやめる選択ができるんだろう。

生きなければならないって

誰がそういいはじめたんだろう。

考えることなく始まった生きるを

考えれば考えるほど、辛いことの多い現実を

どうやって受け止められるんだろう。

感情が無くなれば、生きている実感も無くなるだろう。

そうやって生きていることを一旦休めば、

とりあえず死を考えることを置いておける。

苦しさから逃れられるんだ。

それでもまだ生きている。

生きながらえている、生かされている。