30歳の苦悩と微かな光

頭の中を整理する為のブログ

人間≒エゴ

子は親のエゴの結晶だ。

勝手に作られ、勝手に生まれ

勝手に名付けられ、育てられる。

そのまま親の持ち物で居られれば

こんなに楽な事はないのに

いつしかその子にも自意識が芽生え、

自分と他者を区別し始める。

生き抜く事を使命づけられている子は、親を認識し、愛が自分に注がれる様、あの手この手で努力を始める。ヒトは生き物なのだ。生き抜かなければ、悪、否、価値なし、無意味。勝手に存在を始めたのに、初めから生き抜く事に必死になってる子。親は生き抜く術を教授する。子は黙ってそれに従うしかない。子にとって親は圧倒的な存在なのだ。

そしていつしか、これも半ば強制的に親は子離れ、子は親離れをしなくてはならない。強制受動的な人生が強制能動的な人生へと変わっていく。

 


自分で生き抜く道を歩んでいるかの様で、どこか腑に落ちない。はなから自分で生き抜くと決めた道ではないのだから、当然の事であろう。

親は子に依存し、子は親に影響を受ける。そうやって人との関わりは単純であるのに絡み合い、複雑なものへと変貌していくのだ。

生きている以上、生き物は何かに依存している。依存=欲求、といってもいい。

兎に角、何が言いたいか何を思っているか、明確に出来ないけれど、生きている事は不安だ。そして楽しい。馬鹿げていて不思議な世界。変わらずに居たいのに、変化を求める。オンリーワンと言いながら、皆んなと同じじゃないと不安になる。

本当に人間はエゴの塊だ。