30歳の苦悩と微かな光

頭の中を整理する為のブログ

断食のすすめ

寝起きが良い。

頭がクリアな感じ。

腹がうずくが心地よい。

背筋が無意識に伸びる、というか

その方が気持ちが良い。

昔、味わった事があるような

懐かしく繊細で豊かな清々しい気分。

 

何も変わってなんかいない。

でも絶対変わった。

そんな感覚。

 

この感覚を皆が共有できるなら

なんて穏やかな世界になるだろうか。

 

 

 

飽きるということ

始めては飽き、飽きては始め、始めては飽きる。人生において、飽きは付き物だ。すぐ飽きてしまう性格、何をしても続かない…。飽きにはマイナスイメージがつきがちだが、そうでもない。飽きるとは、その対象の魅力に満足できなかったのではなく、その対象に十分満足できたということ。対象の魅力の差に大小は有るかもしれない。しかしそれは価値観であり、この世の万物に誰しもが抱く絶対的な魅力はない。誰しもが宇宙から地球を眺めた時と同じ感動を味わっているかもしれない。また、その対象にかけた時間の長さが必ずしも満足感に繋がるのではない。一つを長くやった人と、短く沢山の経験をした人。両者は同量の満足感を味わえる可能性を秘めている。別にこれといって何もやらなくても良い。ただ生きるだけで良い。絶えず体は動き生きていること、生命維持活動の神秘を味わうことができる。生きることを諦めたから、死ぬのではない。飽きたのだ。飽きるとは、その人なりにそれを一生懸命頑張り、やり切り、満足した、ということだ。

生きる魅力が失われる時代

何をしたら満たされるのだろうと考えてしまうこと自体、苦しみの始まりであって、おそらく何をしても満たし終わることはない。満たされる感覚は苦しめられている状態からの、一時的な脱却である。だとすれば、満たされることも苦しみとなる。仏教では欲からの離脱を目指す。心の浮き沈みを無くし、安寧な状態を保つようにする。人間の欲深さは生きる為には必要なはずだ。原始のようにただ生き延びることを良しとするのでは無く、より良い環境でより良い思いをして生き延びる、という方向性へ変化(進化)していった。完全に死も操れる時代が到来したのなら、人間はどのような生き方を見出すのだろうか。自分の人生を完全に設計出来るとしたら、人生は魅力を失うだろう。分かっている未来を生きることに、人間の生存意欲は保つのだろうか。今も根本的には同じことだ。昔から積み重ねてきた経験、必ず死を迎えるということ、人はふとした瞬間、死を考えてしまう。誰しも突然、生きる気力を奪われる時がある。こういった人間の危うさは常にあるのに、それに気付かない自分、それを気付かせない社会が辛い。生き延びる為に進化した思考力が人間の命を短くする。本能で生きなければならないのに、社会や集団で生きていく為には協調しなければならない。至極、生きづらい社会になった。

人類史上最高の快楽

生まれながらにして人は悲しみを抱えている。いつかは終える運命。それに気付いて病む者もいれば、何かに夢中になり気付かぬ者もいる。その運命を受け入れ、共存したり立ち向かう者もある。幸せとは、そのどうしようもない運命を意識することなく、自由に過ごせた時間を言うのかもしれない。夢中になった時間だ。少しでも自分の運命から目を背けられたことに魅力を感じる。相対的世界に存在する絶対的運命。この絶対的運命をも変えることがでいる段階に来ている。死を操る、人類の進化はここまで来た。自分の運命を自分で決定出来る。人類史上最高の快楽なのかもしれない。だが、注意したいのは、快楽は歯止めが効かない、ということ。

人間関係における諸悪の根源

この世に生を受け、初めての人間関係は親である。この関係性が今後の人間関係の礎となるのは明白である。大体の人間関係における諸悪の根源はこの時期にあると言ってもいい。親との人間関係における最も基本的で重要なポイントは、お互いの存在を認め合うことである。人間関係に置ける最高の快楽がこの承認されることにある。人間は自分で自分を把握する能力が低いようである。自分を気付かせてくれるのは、他者(周囲の環境全て)である。その最初の他者(ここでは初めての人間)が親である。自分という存在を確立していく為には他者との関係が不可欠である、という悲しい現実を受け止めていかなければならない。そういった関わりの中で自分の存在を徐々に認め、確立していく。親の最も重要な仕事は、子の存在を無条件で認めることだ。その方法は様々あるが、単に褒めること。何をするにも褒める。子に他者から褒められた、という成功体験を十分に積ませることは、後の自己アイデンティティの確立に好影響を与える。自分を決して見捨てないと、子が心の底から思えるように見守り育てる、これこそ親の最初で最後の躾だろう。この信頼関係性さえ構築できれば、その後の躾?は自分(親)でなくても大した問題はない(むしろ社会に出て存分に揉まれた方が育つ可能性は高いのかもしれない。)。親は子にとって、相対的な世界の中で唯一絶対的な存在で居なければならない。

経験をリセットすること

経験とは重要な生存戦略である。経験により、より良い道を選択しより良い暮らしを獲得してきた。一方で、人を迷わせがんじがらめにするのも経験である。人は経験により人生を左右される。

幼少期に成功体験が少ないと人間不信になりやすい。幼少期の成功体験とは褒められることである。成功体験が自分自身の存在を確立し、自信を培っていく。そういった経験がない、少ないと自分という存在が曖昧になり、自分自身を信じられなくなる。人間不信は自分への不信感から始まる。本来の自分を受け入れられなくなり、しまいには見失っていく。自分を失うと自分のモデルを経験から構築していく。よってそれ(自分のモデル)は他者(周囲)からの影響によるものである。相対的に創り上げられた自分のモデルは本来の自分とかけ離れていることが多い。かけ離れている分だけそれを演じるストレスは大きくなる。モデルや目標を持つことは自分を見失っていない人にとっては自分を高める励みや糧になるが、自分を見失っている人にとってはあまりのギャップに負担や重圧としてのしかかってくる。さらに自己肯定する経験が少ないために、こんな筈じゃないと自分を受け入れられずに、頑張り過ぎてしまう。心身を病んでしまってから無理をしていたと気付かされるのだ。

では、本来の自分をどう取り戻すか。それは経験をリセットすることで可能になる。思い込みや執着、今までの経験から構築された自分をリセットする。常に新しい日々を生きている感覚を大切に生きることである。

興味ある事

➀ボートで魚突き
➁キャンピングカーで放浪
➂密閉ワイヤレスサラウンドヘッド、4kビエラで映画鑑賞三昧
➃速記で小説書き、出版
➄海でウインドサーフィンとさっぷ
ウクレレとアコギ

➆グレートレースに出る

➇鎌倉、湘南、逗子で生活
➈大学通う

➉大学講師になる

⑪人力車ひき

⑫僧侶になる
自衛隊で訓練、活動

⑭武映画