30歳の苦悩と微かな光

頭の中を整理する為のブログ

生きる魅力が失われる時代

何をしたら満たされるのだろうと考えてしまうこと自体、苦しみの始まりであって、おそらく何をしても満たし終わることはない。満たされる感覚は苦しめられている状態からの、一時的な脱却である。だとすれば、満たされることも苦しみとなる。仏教では欲からの離脱を目指す。心の浮き沈みを無くし、安寧な状態を保つようにする。人間の欲深さは生きる為には必要なはずだ。原始のようにただ生き延びることを良しとするのでは無く、より良い環境でより良い思いをして生き延びる、という方向性へ変化(進化)していった。完全に死も操れる時代が到来したのなら、人間はどのような生き方を見出すのだろうか。自分の人生を完全に設計出来るとしたら、人生は魅力を失うだろう。分かっている未来を生きることに、人間の生存意欲は保つのだろうか。今も根本的には同じことだ。昔から積み重ねてきた経験、必ず死を迎えるということ、人はふとした瞬間、死を考えてしまう。誰しも突然、生きる気力を奪われる時がある。こういった人間の危うさは常にあるのに、それに気付かない自分、それを気付かせない社会が辛い。生き延びる為に進化した思考力が人間の命を短くする。本能で生きなければならないのに、社会や集団で生きていく為には協調しなければならない。至極、生きづらい社会になった。