30歳の苦悩と微かな光

頭の中を整理する為のブログ

何がしたいのかわからなくなったら

何がしたいのかわからない、という状況は不安を感じさせる。自分が自分で操作出来ない恐怖。先行きの見えない孤独感は耐え難い。心を病んでしまった時に特にこの疑問を抱えながら悶々としていた。

今でも明確な答えは見当たらない。

 

①寝床から動かない(何もしない)

ずっと、ベッドに居る。

せいぜい半日で我慢出来ない。

今まで何も考えずにやっていた行動(飯や排泄、風呂等)の必要性、重要性に気付く。やっぱり動物なんだと落胆すると同時に疎かにしてはいけない、と生活を見直すキッカケになる。体の健康があってこその心の健康と気付かされた。

 

②本やインターネットで調べる

思考力を得た人間が現代を生きていく中で悩みを持つのは必然といえる。自分と同じような悩みを持つ人の存在は本当に窮地に立たされている人にとって少しでも安心し、羽を休める事が出来るオアシスである。反面そういった情報により

傷の舐め合い、群れることで安心してしまう危険性、所詮、他人の方法論でありそれなりの解釈が必要になることもあり注意したいが参考になるかもしれない。

 

③仕事を辞めてみる

環境を変えてしまうのが手っ取り早い。

(自分の場合、体が拒否反応を起こしたのだが…。)

あらゆる執着は迷いや思い込みを生み、それが障壁となることが多い。だが生きる為にはどうにかして金を稼いでいくしかないが…。

 

④誰も知らない環境に飛び込んでみる

今までの常識や習慣を見直すキッカケに。新たな出会いや発見がある。

 

⑤とことん考え抜く

環境を変えても自分が変わる保証はない。思考を変える事が出来れば自ずと行動も変容する。考え抜いた結果、何事も兎に角自分が気持ちいいと思うこと(本能的に欲していること)を実践していくに限る。些細なことからで良い。生理的欲求はこれを実践しやすい。ご飯を食べる、トイレにいく、寝る。これを自分の気持ちいいと思うタイミングで行う。身近な至福である。現状それが難しいのであれば少しずつ改善していく。人生はそんなことの積み重ねになるような気がする。

 

⑥旅に出る

悩むことは苦痛だ。どうせ悩むなら、一人で悩んでも良いが、皆に迷惑をかけてみるのも有りかもしれない。見知らぬ人は所詮見知らぬ人であるが、こちらが無抵抗と分かると親切にしてくれることも有る。自分ひとりでは何もできないと腹を括れば生きる為に眠っていた活力が出てくるかもしれない。

 

人は孤独だ。

苦しみや悲しみを抱えている。

悩むことは生きる活力を目醒めさせる行為だ。

悩むことを辞めてはいけない。